大江健三郎さんもじつはどもっていた過去を持つ


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日本で2人目となるノーベル文学賞を受賞された方です。吃音エピソードも語られますが、吃音よりはむしろ温かい人柄を感じさせるエピソードです。それでは大江健三郎さんの吃音人生を見ていきましょう。

デビュー前から才能を発揮!

大江健三郎氏は高校生のときに文芸部に所属し、自ら編集した本に詩や評論などを載せていました。

また大学に入学してからは演劇の脚本や小説、戯曲などを書き始めたました。

こうした活動の中で「火山」という作品が銀杏並木賞を受賞し、全国学生小説コンクールでは「優しい人たち」が佳作、「獣たちの声」は創作戯曲コンクールに当選するなど、デビューする前からその才能を遺憾なく発揮していました。

そして東京大学新聞に「奇妙な仕事」という小説が載ったことがきっかけで、作家としてデビューすることになったのです。この作家デビューをしたときの大江健三郎氏は、まだ大学在学中だったというのですから驚きです。

こうして学生作家となった彼はその後も続々と作品を発表していくのでした。

ノーベル文学賞受賞への道のり

大江健三郎氏は1994年に日本文学史上、二人目のノーベル文学賞を受賞しました。ですがそれまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。

1935年愛媛県に生を受けた彼でしたが、1941年には太平洋戦争が始まります。このとき彼はまだ小学生でした。

その後戦争が終わるも1951年高等学校に入学した後、いじめが原因で別の学校へ編入するといったこともありました。

それから2年後の1953年には上京し、予備校へ通うこととなり、その翌年にようやく東京大学教養学部に入学することになるのです。

この大学時代に作家デビューをしますが、一度は芥川賞候補となりながらも落選してしまいます。

ですが彼はここで挫けることなく、その翌年若干23歳にして芥川賞を受賞するのです。

大江健三郎の政治的思想とは?

大江健三郎氏は自らを戦後民主主義者と主張し、日本での天皇制には終始批判的な立場を取ってきました。さらに自身のエッセイや公演においても憲法や核、自衛隊など、日本における様々な問題に対して言及しています。

さらに2003年に起こった本国の自衛隊イラク派遣については、人道的支援までに留めるべきだとし、日本のアメリカ追従の姿勢に対して疑問を投げかけました。

その後も小泉純一郎元首相の靖国神社参拝、竹島や尖閣諸島問題など国や政治について自身の考えを様々な場で述べています。

このように独自の政治的思想を様々なメディアで発表したり、自分の作品内で主張したりといったことを行っているのです。ですが非常にデリケートな問題にメスを入れるため、時折批判されることもあります。

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