村田喜代子さんの壮絶な吃音人生とは


吃音界の有名人と言えば吃音モンキーさんだと思いますが吃音モンキーさんのサイトがこちらです。
吃音改善の情報サイト

やはりと言おうか吃音の治し方についての情報量はすごいものがあります。自らの吃音体験と吃音を治された経験から語られる言葉は力がありますね。「私も治るかも・・・」と希望が持てます。 その中でもやはりこの2記事がずば抜けてまとまっています。吃音をなんとかしたい方は必読です。

↓記事はここから↓
幼いころから吃音で子供時代は名前が言えなくて大変悩んだそうですね。自分の名前が言えないというのは吃音の代表的な症状の1つです。吃音は今も治ってはいないらしいですが、大人になったらさほど吃音のこと自体が気にならなくなったらしいです。ここらへんはやはり脳科学による吃音治療と通ずるところがありますね。それでは村田喜代子さんの吃音人生を見ていきましょう。

村田喜代子ってどんな人?

1945年4月12日生まれの、現在71歳で、梅光学院大学(山口県下関市にある大学です)文学部の客員教授を務めています。

福岡県北九州市八幡西区に生まれ、現在は福岡県中間市に住んでいます。

(村田さんの旧姓は貴田さん)

村田さんがまだお母さんのお腹にいる頃にご両親が離婚、戸籍上は祖父母の子、ということになっています!

さらに就学時年齢の1年前に入学通知が届き(驚きの市役所のミスだったそうです)、1951年わずか5歳で小学校入学することになります。

中学校卒業後にすぐ鉄工所に就職を決めて、1967年22歳でご結婚、姉妹を授かりました。

村田さんは吃音持ちで、今でも矯正できていません。

ただ悩んだのは幼い頃だけで、社会人になると気にならなくなったそうです。

びっくりの受賞歴!

結婚後10年して執筆した(当時はタイプライターで書いていたそうです)「水中の声」で1977年(当時32歳)に第7回九州芸術祭文学賞最優秀作を受賞したのを皮切りに、40代では1987年「鍋の中」で芥川賞(42歳)、1990年『白い山』で女流文学賞(45歳)、1992年『真夜中の自転車』で平林たい子文学賞(47歳)を受賞しています。

50代では、1997年『蟹女』で紫式部文学賞(52歳)、1998年『望潮』で川端康成文学賞(53歳)、1999年『龍秘御天歌』で芸術選奨文部大臣賞(54歳)。

60代では、2007年 紫綬褒章(62歳)、2010年『故郷のわが家』で野間文芸賞(65歳)、2014年『ゆうじょこう』で読売文学賞(69歳)。

70代に入った今年も、2016年 『春の叙勲』で旭日小綬章(71歳)と、年齢を重ねても全く衰えることはなく続々と栄誉ある賞を授与されています。

現在、泉鏡花文学賞に加え、ご自身も受賞した紫式部文学賞&川端康成文学賞の選考委員を務めています。

どんな作品があるの?

村田さんの作品は様々ありますが、どのような作品があるのでしょうか?

一部簡単にですが、ご紹介します。

「鍋の中」・・4作品が収められていて、怪しげな魅力が詰まっています。紫綬褒章を受賞され、天才と名高い村田さんですが、1人の少女の心情とその時の情景を緻密に描けるのは村田さんしかできない、という納得の作品です!

「ゆうこじょう」・・こちらも短編集で、熊本から遊郭に売られてきた少女の視点から描いた、遊郭の女性たちの生き様を描いています。主人公イチがとっても魅力的で、女の強さ・弱さを目に浮かぶようです。こういうテーマを扱った作品にしては、かなり明るめのタッチです。

「焼野まで」・・3.11の東日本大震災からわずか数日後に、ご自身が子宮ガンであることが発覚し、放射線治療を受けた村田さんの体験談です。村田さんは原発の存在への疑問を投げかけたかったのではないか、と思わせる作品です。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*