篠田正浩さんの壮絶な吃音人生とは


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やはりと言おうか吃音の治し方についての情報量はすごいものがあります。自らの吃音体験と吃音を治された経験から語られる言葉は力がありますね。「私も治るかも・・・」と希望が持てます。 その中でもやはりこの2記事がずば抜けてまとまっています。吃音をなんとかしたい方は必読です。

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この方も小学生の時に吃音がで始め、人との関わりを避けた結果、本を読む楽しさや知識欲を満たす喜びを知ったとのこと。この吃音体験が結果的に「瀬戸内少年野球団」「写楽」など数多くの名作を作り上げることに繋がったと話されています。それでは篠田正浩さんの吃音人生を見ていきましょう。

経歴

1931年3月9日、岐阜県岐阜市で生まれました。

早稲田大学第一文学部を卒業後、松竹に入社します。

その後、1966年にフリーとなり、翌年には独立プロダクション表現社を設立しました。

60年代後半から70年代前半は「心中天網島」(1969年)や「無頼漢」(1970年)

等の先鋭的な作品を独立プロダクションから連発。

70年代後半からは大手映画会社配給の大作が多くなっています。

1990年に「少年時代」で第14回日本アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞しました。

カンヌ国際映画祭のコンペディションへは3度の出品を果たしました。

その後、2003年に大作「スパイ・ゾルゲ」の製作を最後に映画監督からの引退を発表しました。

受賞作品

1970年 キネマ旬報作品賞・監督賞受賞 (『心中天網島』)

1970年 毎日映画コンクール作品賞受賞 (『心中天網島』)

1970年 アデレード映画祭批評家賞受賞 (『無頼漢』

1972年 毎日映画コンクール作品賞・監督賞受賞 (『沈黙 SILENCE』)

1977年 アジア太平洋映画祭監督賞受賞 (『はなれ瞽女おりん』)

1984年 ヒューストン映画祭外国語映画賞受賞 (『瀬戸内少年野球団』)

1985年 ブルーリボン賞作品賞受賞 (『瀬戸内少年野球団』)

1986年 第36回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (芸術貢献賞)受賞 (『鑓の権三』)

1991年 第14回日本アカデミー賞作品賞・監督賞受賞 (『少年時代』)

1991年 ブルーリボン賞作品賞・監督賞受賞 (『少年時代』)

1991年 毎日映画コンクール作品賞受賞 (『少年時代』)

1996年 第19回日本アカデミー賞編集賞受賞、作品賞・監督賞・脚本賞ノミネート (『写楽』)

1999年 富川国際ファンタスティック映画祭監督賞受賞 (『梟の城 owl’s castle』)

2010年 第38回泉鏡花文学賞受賞 (『河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶』)

妻・岩下志麻さんとのなれそめ

篠田正浩の奥様は映画「極道の妻」で有名な女優・岩下志麻さん。

来年(2017年)で結婚50周年となります。

二人のなれそめについては、ある雑誌のインタビューで、奥様の岩下志摩さんが語られていました。

二人が交際を始めるきっかけとなったのは、篠田正浩さんが監督を務めた映画「暗殺」の撮影終了後の打ち上げとのことです。

東京の赤坂のナイトクラブで打ち上げをしているとき、二人は当時流行っていたマンボを踊ることとなりました。

その時、岩下志麻さんは「あぁ、私はこの人と結婚するなぁ」とふと感じ、そのまま「私、監督と結婚する気がします」と伝えたのだそうです。

それを聞いた監督は唖然として踊りをやめてしまったそうですが、この出来事がきっかけで二人の交際がスタートすることとなります。

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