意外!桂ざこばさんもじつは吃音持ちだったらしい!


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やはりと言おうか吃音の治し方についての情報量はすごいものがあります。自らの吃音体験と吃音を治された経験から語られる言葉は力がありますね。「私も治るかも・・・」と希望が持てます。 その中でもやはりこの2記事がずば抜けてまとまっています。吃音をなんとかしたい方は必読です。

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私はらくごのごで好きになりました。軽妙なトークで人気の落語家さんです。吃音を逆手にとった落語が特徴です。吃音を落語に活かすのは桂文福さんと同じですね。それでは桂ざこばさんの吃音人生を見ていきましょう。

幼い頃から波乱万丈の人生を歩んできた 桂ざこば氏

桂ざこば氏は小学校2年生の時に両親が離婚した上に警察官だった父親に引き取られるも3か月ほどで父親は自殺によって亡くなったのです。

その後、中学校へ進みそこでは学校をサボりながらも落語を見ていたそうです。その頃から3代目桂米朝の芸に惚れ込み、弟子入りを何度も何度も志願したのだが入れてくれなかったそうです。

そして弟子から言われた事は「高校だけでも卒業した方がいい」ということだったそうです。そして高校を志すも、中学時代の担任からは、「お前に行ける高校はないぞ」と言われ、その旨を聞いた米朝氏は入門を許可したのです。

またその入門前に就職を勧められ直前に働いたりと幼い思春期に波乱万丈な経験をしている桂ざこば氏であったのです。

お世話になった師匠との別れ

桂ざこば氏は3代目桂米朝の芸に惚れ込み、弟子入りをしたのです。そして彼は波乱万丈の人生を歩んできた時に、米朝師匠と家族同然の様に落語会を歩んできたのです。

そして落語家で人間国宝とまで言われた、桂米朝氏は89歳にして2015年に他界したのです。

桂米朝氏は2009年から数回に渡り脳梗塞を患っていたのです。

それでも、ひたすら持ってるパワーを持ち続け彼は何度も回復の兆しへ向かったりと戦ったのです。しかし、2014年にまた再度入院から危篤状態となり、2015年に桂米朝氏は他界したのです。

その後、弟子であった、桂ざこば氏はコメントを残したのです。

「こないに上手に、こないにキレイに亡くなるとは…」とここまで師匠と家族同然に過ごした人がこんなに戦い生き、天国へ行く時も素晴らしい終わり方をしたのだと思います。

いつしか華の舞台に

桂ざこば氏は波乱万丈な人生を経験しながらも桂米朝氏のところへ弟子入りしてから、稽古特訓の日々が始まったのです。

そこからいつの日にか、千日劇場やトップホットシアターに出演し、千日劇場では師匠米朝が司会する「お笑いとんち袋」のレギュラーとなったりもしたのです。ここまで落語会で詰め寄る事が出来たのは、桂米朝氏が家族同然に想い、本気の稽古や体を張ってその姿を見せてきたからだと思います。またテレビ番組の収録で吉本興業の花月劇場チェーンや、松竹の角座の舞台にも立ったり、全国的には「ウィークエンダー」での「テレビ三面記事」のレポーターとしての出演をしたりと気づけば全国を舞台にしていました。その後、大阪に拠点を戻すも、彼は様々な賞を受賞してきたのであったのです。

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