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桂文福さんはこうして吃音を治したらしい!

小さなころから吃音だったらしいですが、落語の世界に憧れて入門されました。その後、師匠のすすめもあって吃音やナマリをそのままだした新作落語に取り組んでいます。相撲甚句、河内音頭などが有名ですよね。こうしてみると三遊亭圓歌さんも桂ざこばさんも吃音ですね。落語会には吃音者が多いというのも不思議です。それでは桂文福さんの吃音人生を見ていきましょう。

桂文福さんってどんな人?

1953年(昭和28年)3月31日で早生まれの現在61歳!

和歌山県紀の川市桃山町出身で、本名は田中登さんです。

170cmで103kgとなかなかどっしりした体型のマイペースなB型。

趣味は、カラオケ・鉄道を乗り継いでの1人旅に、昔からのファンである大相撲観戦(元横綱の曙や元大関の小錦と親交が深い)・マンガを描くこと(上方落語協会の協会新聞で四コママンガを連載しています)などとても多趣味です。

県立粉河高校卒業後に大日本印刷大阪工場に就職して1度は社会人になりますが、1年後に脱サラして19歳で三代目・桂小文枝(五代目の桂文枝)に弟子入りします。

現在、(有)文福らくごプロモーションの代表、全国市町村で開催している「ふるさと寄席」の座長、吉本興業の落語プロジェクトに参加するなど意欲的に活動しています!

どんなお弟子さんがいるの?

桂茶がまさん(よしもとクリエイティブ・エージェンシーにも所属し、コシノグランドコレクションのモデルさんも務めています!持ちギャグは‘’や〜らしいわ〜‘’)、桂文鹿さん(落語家さんとしての活動だけでなく、引退されていますがプロボクシング選手でもあり、師匠同様大相撲の大ファンでもあります)、桂まめださん(よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する芸人さんで、特技は皿回しで、緑色の髪が特徴的です)・桂ぽんぽ娘さん(東京出身ながら、上方で江戸弁落語家として活躍中です)etcなど、才能あふれる若手さん達が弟子入りしています。

廃業してしまいましたが桂ぽんぽこさんや、他にも桂和歌ぽん・桂恩狸さんなど、何となく全員たぬきを連想させる芸名で統一されています。

魅力的なエピソード&受賞歴!

中学生の時は相撲部に所属、高校生の時は美術部&柔道部に所属し、現在多趣味なのも頷けます。

内弟子時代に、桂文枝師匠へのお客様にコーラを出すつもりで麺つゆを出したことがあるそうです。

(何故か麺つゆがコーラの瓶に入っていたため)

(ちなみに、弟子の1人の桂まめださんも天然で有名で、桂文福さんはあまりの天然ぶりにまめださんの親に電話をかけたそうです。)

弟子入りして7年後、28歳の時に「第2回ABC落語漫才新人コンクール」で審査員奨励賞を、翌翌年から2年連続で 「第11回日本放送演芸大賞」ホープ賞を受賞します。

和歌山での活動が評価されて「和歌山県文化奨励賞」「和歌山県桃山町民特別功労賞」「和歌山県桃山町第1回ふるさと文化賞」も受賞されています!

意外!桂ざこばさんもじつは吃音持ちだったらしい!

私はらくごのごで好きになりました。軽妙なトークで人気の落語家さんです。吃音を逆手にとった落語が特徴です。吃音を落語に活かすのは桂文福さんと同じですね。それでは桂ざこばさんの吃音人生を見ていきましょう。

幼い頃から波乱万丈の人生を歩んできた 桂ざこば氏

桂ざこば氏は小学校2年生の時に両親が離婚した上に警察官だった父親に引き取られるも3か月ほどで父親は自殺によって亡くなったのです。

その後、中学校へ進みそこでは学校をサボりながらも落語を見ていたそうです。その頃から3代目桂米朝の芸に惚れ込み、弟子入りを何度も何度も志願したのだが入れてくれなかったそうです。

そして弟子から言われた事は「高校だけでも卒業した方がいい」ということだったそうです。そして高校を志すも、中学時代の担任からは、「お前に行ける高校はないぞ」と言われ、その旨を聞いた米朝氏は入門を許可したのです。

またその入門前に就職を勧められ直前に働いたりと幼い思春期に波乱万丈な経験をしている桂ざこば氏であったのです。

お世話になった師匠との別れ

桂ざこば氏は3代目桂米朝の芸に惚れ込み、弟子入りをしたのです。そして彼は波乱万丈の人生を歩んできた時に、米朝師匠と家族同然の様に落語会を歩んできたのです。

そして落語家で人間国宝とまで言われた、桂米朝氏は89歳にして2015年に他界したのです。

桂米朝氏は2009年から数回に渡り脳梗塞を患っていたのです。

それでも、ひたすら持ってるパワーを持ち続け彼は何度も回復の兆しへ向かったりと戦ったのです。しかし、2014年にまた再度入院から危篤状態となり、2015年に桂米朝氏は他界したのです。

その後、弟子であった、桂ざこば氏はコメントを残したのです。

「こないに上手に、こないにキレイに亡くなるとは…」とここまで師匠と家族同然に過ごした人がこんなに戦い生き、天国へ行く時も素晴らしい終わり方をしたのだと思います。

いつしか華の舞台に

桂ざこば氏は波乱万丈な人生を経験しながらも桂米朝氏のところへ弟子入りしてから、稽古特訓の日々が始まったのです。

そこからいつの日にか、千日劇場やトップホットシアターに出演し、千日劇場では師匠米朝が司会する「お笑いとんち袋」のレギュラーとなったりもしたのです。ここまで落語会で詰め寄る事が出来たのは、桂米朝氏が家族同然に想い、本気の稽古や体を張ってその姿を見せてきたからだと思います。またテレビ番組の収録で吉本興業の花月劇場チェーンや、松竹の角座の舞台にも立ったり、全国的には「ウィークエンダー」での「テレビ三面記事」のレポーターとしての出演をしたりと気づけば全国を舞台にしていました。その後、大阪に拠点を戻すも、彼は様々な賞を受賞してきたのであったのです。

吃音でも羽仁進さんのように生きる

吃音を隠すことなくありのままの話し方をされていますね。また、日本ではあまり馴染みのない吃音への理解を求める姿勢は共感を呼んでいます。それでは羽仁進さんの吃音人生を見ていきましょう。

羽仁進さんはどんな人なのか

映画に詳しい人であれば、羽仁進さんが映画史上どれだけ重要な人物かがわかるかと思いますが、そうでない人は、パッと顔が浮かんでこない方もいるのではないでしょうか。

羽仁進さんは、ドキュメンタリーの映画監督です。最初の作品が「教室の子供たち」という映画で、子供を未発達なものと捉えるのではなく、子供なりの知性だったり理論だったりがあるということを世の大人に知らしめるような内容でした。1か月ほど、学校に通学する子供を毎日撮影した作品は、のちにブルーリボン賞を受賞しました。

その後、「不良少年」という映画が1961年日本映画ベスト1になりました。この映画はプロの俳優ではなく、実際に非行経験のある少年を集めて撮影され、大きな反響を呼びました。

羽仁進の恋愛

女優の左幸子さんが元妻です。1959年に結婚しましたが、1977年に羽仁さんが左幸子さんの妹額村喜美子さんと浮気したことで、離婚となりました。その後、喜美子さんと再婚しています。娘が羽仁未央さんです。芸術家らしい、波乱万丈な恋愛経験を持っていますが、インタビューなどを見ると、とてもアグレッシブで感情的な人といった印象を受けるので、やはり恋愛も情熱的だったようです。

ドキュメンタリー作家として成功していながらも、様々なことに取り組んでおり、アートフィルムを撮ったりアフリカ取材で30年間動物を撮影したりもしています。映画監督という職を求めているのではなく、その時にやりたいことをやってきたというふうに語っています。恋愛についても好きな人に情熱を傾けたのでしょうか。

羽仁進のインタビューから「幸せとは?」

「大いなる死」という著書も持つ羽仁進さんですが、あるインタビューで幸せとは何かという質問に答えていた内容が印象的でした。彼は、自分が持っている大きな傾向を早く見つけだすことが重要という風に言っています。何が問題だとか、できない理由を挙げるのではなく、自分の素直な気持ちで進んで行くべきだ、と。

この言葉は現代の多くの大人の胸を打つのではないでしょうか。大人になって、家庭を持ち、収入も必要で、となってくると自分のやりたいことなど後回し、やりたいことが何なのかさえわからなくなります。しかし、それでは、本当に幸せとは言えないのかもしれません。

言葉にすれば簡単ですが、羽仁進さんはそれを人生をもって体現している人だと言えるでしょう。離婚については様々な意見もありますが、肩書きや世間体ではなく自分の気持ちに従って生きることを思い出せてくれる数少ない人物です。

どもりがなんだ!井上ひさしさんが吃音を改善した意外な方法

なんと「ひょっこりひょうたん島」の作者です。きっかけは義理のお父さんからの虐待が原因とされています。どもりを独特の表現でおもしろくしている吃音矯正学校の喜劇「日本人のへそ」や自伝的小説「花石物語」はいずれ読んでみたいと思っています。それでは井上ひさしさんの吃音人生を見ていきましょう。

井上ひさしは放送作家で劇作家で小説家

井上ひさし氏は有名な番組「ひょっこりひょうたん島」を山元護久氏と共に手がけた人物です。放送作家として数々の番組を手がけただけでなく、劇作家としても功績を残しています。

例えば「てんぷくトリオ」のコントを作ったり、花子さんや日本人のへそなどの戯曲を書いたりなどといったことをしています。

また劇団の芝居を書いたことをきっかけに小説家としての活動も始めています。「吉里吉里人」という小説では日本SF大賞や星雲賞、「不忠臣蔵」では吉川英治文学賞などを受賞しており、小説の世界でもその名を轟かせています。

井上ひさし氏は放送作家や劇作家、そして小説家の活動すべてにおいて何かしらの賞を受賞している豊かな才能を持った人と言えるのです。

虐待や家庭内暴力をしていた!?

井上ひさし氏は猟奇的なことを好む性格であったようで、幼い頃には猫に火をつけたり猫を高い頃から落としたりなどといったことをしていたようです。特に猫が異常なほど大好きだったみたいです。井上氏自身が過去の動物虐待に関して公に話しています。しかも動物愛護団体を批判するときに暴露しているのです。

また家庭環境もかなり複雑であったようで、井上ひさし氏は奥さんに対して暴力を振るっていたそうです。とはいえ本人に悪気はなく、良い作品を書くために必要なことであると考えていたそうです。奥さんの方も最初は受け入れていたようですが、段々と傲慢な態度に嫌気が差してきて離婚に至ったのです。

三女の石川氏曰く「人格破綻者」だったみたいです。でもだからこそ他の人には書けない作品を作ることが出来たのでしょう。

作品を書くのがかなり遅かった!

井上ひさし氏はかなりの遅筆として有名です。自身でもそのことをよく分かっており、戯曲の際は「「遅筆堂」といった戯号を使うこともよくあったそうです。

それゆえに劇の公演に戯曲の完成が間に合わず、休演せざるを得ないことも何度かあったそうです。中でも有名なのが「パズル事件」と呼ばれるものです。

この事件は戯曲「パズル」を公演までに完成させることができず中止になってしまい、井上ひさし氏が多くの弁償金を支払うことになったというものです。最も有名な上演中止事件ですが、他にも損失額を弁償する支払いはあったようです。

とはいえ井上ひさし氏は上演さえすれば客が入るため、周囲の方々も仕方ないなで済ませるといったことも多かったそうです。締め切りに遅れても仕方ないと思わせる、それほどの才能を持っていたということです。

平野レミさんの意外な吃音治療方法とは

この方はすごい早口で吃音とは驚きです。しかし、元来吃音者は早口の方が多いですし、どもりを隠そうと早口になるのも吃音の特徴です。それでは平野レミさんの人生を見ていきましょう。

平野レミってどんな人?

1947年3月21日生まれ(69歳)で今ではタレント、料理愛好家として有名ですが、実はシャンソン歌手としてデビューし、その後和田誠と出会い、結婚しました。

和田さんとの出会いのきっかけは、ラジオ番組に出演しているレミさんの声に惚れ込み、「平野さんを紹介してほしい。」と番組に出演している久米宏に頼んだところ「やめといたほうがいい。」と断られ、番組プロデューサーには「責任持てませんよ。」と釘を刺された上でやっと紹介してもらい、10日ほどの交際を経て結婚しました。

結婚後は、育児と主婦業に専念していましたが、両親の影響で家庭料理の研究に力を入れるようになり、料理愛好家として活動を始めました。

常にテンションが高く、早口で話す明るい人柄と誰でも簡単に作ることのできる料理が評価されています。

レミさんといえばレミパン!

レミパンといえば、結婚祝いで定番のプレゼントになっています。

これはレミさんが鍋の製造会社 株式会社オダジマと開発し、鍋とフライパンの機能を兼ね備えた炒める、蒸す、揚げる、炊くことが1台でできるという調理器具です。

レミパンの機能として、蓋が透明で中の状態が見やすく、立てて使えることや蓋中央の蒸気穴から水や調味料を入れることができる、深さが丁度よく混ぜている時具材がこぼれにくいなど便利な機能がたくさんあります。

レミパンができるまでには5~60回の改良が重ねられ、開発費は高級車3台分ほどもかかっているらしいです。

そして、2016年3月には新しくレミパンプラスが発売され、より耐久性が上がり、マグネット内蔵ハンドルでキッチンツール(お玉やヘラなど)が付けられるなどの便利機能もプラスされ、話題になっています。

レミさんの料理は面白い

“生きる放送事故”と呼ばれるレミさんがテレビ番組に初じめて出演したのは、NHK「今日の料理」でした。

実家の伝統料理「牛トマ」を作る際、トマトを手でぐちゃぐちゃに潰して鍋に入れたことで「あの下品なやり方は何だ!」と抗議の電話がNHKに殺到したらしいです。

レミさんはプロデューサーに注意を受けましたが、「私は私のやり方しかできません。」ときっぱり話したそうです。

もうテレビ出演の話は来ないだろうと思っていたらしいのですが、数日後、新聞のTV欄に“平野レミの料理番組はユニークで面白い”と批評が出て、それからは次々と出演依頼が来て今にいたります。

レミさんの大暴走ぶりは有名で、にんにくをボウルで潰したり、水分が足りない場合は重しに使っていた水を拝借したりと見ていて思わず笑ってしまうことがよくあります。

それを期待をして視聴する方も多く、「今日は普通で面白くなかったです。」と言われることもあるのだそうです。

料理番組に新たな風を吹かせ、いつも全力で、面白おかしく美味しい料理を教えてくれるレミさんに今後も期待しましょう。

吃音でも重松清さんのように生きる

この方も子どもの頃から吃音に悩み、小説「きよしこ」はどもりに悩む少年の心情を描く自伝的小説をうまく描かれています。それでは重松清さんの吃音人生を見ていきましょう。

この人ってどんな人?

岡山県久米郡久米町(現・津山市)生まれで、中学、高校時代は山口県で過ごし、1981年、山口県立山口高等学校卒業後、18歳で上京。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、出版社を経て、田村章や岡田幸四郎など多数のペンネームを持つフリーライターとして独立し、作家となりました。

デビュー作品は、91年の『ビフォア・ラン』で、その後も99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞を受賞しました。

更に、『ビタミンF』で第124回(2000年/下半期)直木賞までも受賞しました。

この人の作品は、現代の家族を大きなテーマとしていて、馴染みやすい言葉や普段使っている言葉が多用されているので、小学生でも比較的読みやすいと思います。

実は多彩な人だった!

作家としてだけではなく、ドラマ・映画のノベライズや雑誌記者、ゴーストライターなど、多くのことをしています。特に、最近では、高視聴率だったテレビドラマ『流星ワゴン』や映画作品『アゲイン 28年目の甲子園』を手がけています。他にも、2007年度の第74回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲(めぐりあい)の作詞の担当もしています。

また、矢沢永吉の熱心なファンであり、『成りあがり』を真似て夜行列車でわざわざフォークギターを持って上京するぐらいだそうです。

漫画『あたしンち』も全巻揃え、ボロボロになっているくらいのあたしンち好きでもあります。

野球では、広島カープのファンであり、カープが優勝した時には、スポーツジャパンに特別寄稿した程です。

正直、どれくらいの認知度?

この人の作品は青春モノを扱った作品も多く、甘酸っぱい青春時代の気持ちを思い出させてくれたり、子供の頃に感じた大人の世界の難しさを作品から感じ取ることができます。

だから、読みやすいためか、中学入試、高校入試など試験の場で問題として取り上げられることも多々あり、学生でも大人でも一度は目にしたことがあると言っても過言ではないでしょう。

また、他の小説作家の星新一や三谷幸喜などと比べてみると、劣らず、同等かそれ以上の認知度であり、青春小説作家としての地位を確立しているとも言えます。

個人的には、作品『タオル』がオススメであり、親子3代の家族間の絆の深さや主人公の亡き祖父への思いがひしひしと伝わってきて、臨場感あふれる作品です。

南明奈さんはこうして吃音を治したらしい!

この方が吃音ということはけっこう有名な事実ですよね。今でこそ明るい印象ですが、子供の頃は吃音で悩んでいたらしいです。ただ、吃音の症状は軽かったため今は克服されています。それでは南明奈さんの吃音人生を見ていきましょう。

南明奈ってどんな人!?

バラエティ番組やCMなどで見かけることが多い南明奈さんは「アッキーナ」という愛称で親しまれている人気アイドルです。神奈川県横浜市出身、現在27歳です。そんな南明奈さんが一躍お茶の間の人気になった番組が「クイズ!ヘキサゴン」ではないでしょうか。つるの剛士さん、野久保直樹さん、木下優樹菜さん、里田まいさん、上地雄輔さん、スザンヌさんなどと一緒に出演し、一躍おバカタレントとしてブレイクしました。可愛らしい顔立ちと明るい性格で、その後もバラエティタレントとしても活躍していますよね。また、アイドル好きとしても知られており、ファンクラブに加入し、ライブにも参加しているほどのももいろクローバーZファンです。

レーシングカートの腕はプロ級?

南明奈さんはゲームや漫画、アイドルなど幅広い趣味を持っています。意外なところでは中学時代にサークル活動をしていた和太鼓などもあります。たくさんの趣味を持っている南明奈さんですが、レーシングカートがかなりの腕前であることを知っていますか?休日にはサーキットへ行き、練習に励んでいるそうですよ。オールスター感謝祭で行われたカートグランプリで優勝するほどの腕前です。ヘキサゴンでのカートレースではプロの男性ドライバーを上回る好タイムを出しています。ただ、写真集の撮影で訪れたタイでは、カートでクラッシュしてしまい、鼻の骨にヒビが入ってしまったそうです。その時の写真はあまりにひどかったため、修正を加えたそうですよ。

結婚はまだ?お相手はいるの?

現在27歳の南明奈さんですが、まだ結婚はしていません。ただし、結婚適齢期なのでいつ結婚してもおかしくはないですよね。南明奈さんにはお付き合いしている方はいるのでしょうか?2014年に交際が発覚し、今現在もお付き合いしているのは芸人として活躍中の「濱口優」さんです。年の差18歳のカップル誕生にビックリした方も多いのではないでしょうか。2人ともディズニー好きで何度もデートに行っているそうですよ。芸人の中でもモテると有名な濱口優さんとのゴールインがあるか楽しみですね。クイズ!ヘキサゴンで一緒に活躍していた木下優樹菜さんや里田まいさんも結婚、出産を経験しています。南明奈さんのおめでたい話が聞くことが出来るか、期待したいですね。

どもりがなんだ!秋野暢子さんが吃音を改善した意外な方法

この方も小学校時代から吃音であまり人と話をせずいじめられっ子だったようです。転機は小学5年生のとき。担任の先生に半ば強引に演劇の舞台に立たせられ、セリフがスラっと言えた事に自信を持ち吃音を克服されました。「治った」ではなく、あくまで「克服」という表現にしているのは吃音が出ないのは演技をしている時だけだそうです。これがきっかけで演劇の道を目指されています。それでは秋野暢子さんの吃音人生を見ていきましょう。

秋野暢子さんて、素敵な女優さんだよね!

秋野暢子さんって、最近のテレビドラマ、とと姉ちゃんを見ていても、個性的な女優さんとして、随分活躍しておられます。NHKの銀河テレビ小説「おおさか・三月・三年」にウェイトレス役で出演、デビューされました。それから、NHKの連続テレビ小説「おはようさん」のヒロインをされたり、その後は、演技力も買われ、本格的に女優業に専念されています。その上、歌手活動もされている時もありました。「おれたちひょうきん族」には、時々歌手として、出演されていたり、今の秋野暢子さんからは、想像できないような、素敵な経歴を持っておられます。身長170cmという、背の高い秋野暢子さんは、テレビドラマや、映画でも活躍しておられ、第60回キネマ旬報ベスト・テンでは、主演女優賞もとられた、素晴らしい女優さんの一人です。

秋野暢子さんの私生活、頑張られていますよね!

秋野暢子さんは、TBSのプロデューサーだった、田代冬彦さんと結婚されましたが、19年間の結婚生活でピリオドをうたれました。その間、流産されたり、苦労も多かったとは思いますが、一人娘の夏子さんを、育てられました。シングルマザーとして、頑張って、子育てと女優業を両立させて、育てられたと思います。そんな夏子さんも、今は大学生、年が経つのは本当に早いものですね。そんな、夏子さんと、一回だけ、テレビ出演されたことがあるそうです。娘さんは、芸能界デビューは、しないとのこと。これが最初で最後のテレビ出演になったそうです。それにしても、可愛い娘さんを一人で育てていくのはほんと苦労も多かったはずですよね。それをばねとして頑張ってこられたから、今も素敵な秋野暢子さんなのかもしれません。

秋野暢子さん、料理もマラソンも、趣味いっぱい持っておっれます。

秋野暢子さんは、女優業だけではなく、料理もプロ顔負けの腕前を持っておられます。料理本も数冊出版されているほどの料理好きです。また、最近は、広島カープファンとしても知られています。今年の広島カープの活躍は目を見張るものがありました。広島カープファンとしては、最高の年になったのでは、ないでしょうか。それから、秋野暢子さんは、走るのが大好きだそうです。地方にロケがあってもシューズは欠かさず持っていき、時間を見つけては、ランニングされているそうです。私も走っているのですが、ランニング女子としては、地方のロケにまでシューズを持って行かれる秋野暢子さんは、とても素敵です。その上、ラジオ体操連盟公認指導者の資格も持っておられます。女優業だけでなく多彩な持ち主ですよね。これからもいろんなことに挑戦されて、活躍されるのを楽しみにしています。

意外!内藤大助さんもじつは吃音持ちだったらしい!

強い男という印象がある内藤大助さん。しかし、TVで見てもわかるとおり、じつは優しい性格で内向的な方です。吃音は子供のころから発症されていて、それが原因かはわかりませんが、中学時代にいじめにあい、それがきっかけでボクシングを始められています。ボクシングをはじめたきっかけもいじめっ子を見返すためらしいです。それでは内藤大助さんの吃音人生を見ていきましょう。

奥さん以外は知られていない家族

内藤大助が結婚したのはまだ現役中のことで2歳年上のパッと見もかわいい奥様。

奥様のご実家はお総菜屋さんでまだまだボクシングで実績が出ていないときは奥様のご実家から食事のご支援を受けていたこともあり、奥様のご実家のご両親を大事にしています。某テレビ番組でご両親に一戸建てをプレゼントする特集も放送されていたほど。また、少し露出があるのが2人の息子さん。ブログなどにも登場しますが、ボクシングを習っているのかどうかは不明。

ただ、内藤大助、奥さんの真弓さん、そして2人の息子さんでうつっている写真を見ている限り、非常に仲睦ましい姿がうかがえます。内藤大助の温厚な性格がテレビだけではないことがうかがえてちょっと安心します。

オネエ疑惑?

ボクシング引退後、内藤大助はあらゆるバラエティ番組で笑いを提供していますが、「もうやだあ」というおばさんのような口調としぐさでお茶の間を驚かせてくれました。

実はオネエなのであんなに素敵な奥様と離婚?という噂まで出てくるほどです。

ご本人のコメントからも実は高校時代からもちょっとオネエっぽい気持ちを持っていたそうです。さらに驚くのはメイクまでためしたことがあるが似合わないのでやめたという事実までカミングアウトしてしまいました。

このカミングアウト後は公然といまでも女装したい、ゲイバーで働きたいとコメントするようになってしまいました。

肝心の奥さんはさすがにここまでくるとひどいと少しあきれかえったご様子。

子供のころは?

ボクシング世界チャンピオンながら、自分自身が中学時代はいじめられっ子だったということを自らカミングアウトしています。実は、日本チャンピオンになったときに当時のいじめっ子と再会したときに当時のトラウマから少しおびえながら、接しているときにいじめっ子のほうが過去のことを忘れていたことを知り、いかった内藤大助が怒って過去のトラウマを払い去ることができたというエピソードは有名です。また、内藤大助の母親は非常に厳しく、本人も「母親から一度も褒められたことはない」と話しています。日本チャンピオンになってからも「世界チャンピオンになってからほめる」という宣言をしたほど。しかし、その一方で息子がいじめられていたことを知らず、自責の念もあると母親は語っています。

秋野暢子さんは実は吃音者だったって知っていましたか?

この方も小学校時代から吃音であまり人と話をせずいじめられっ子だったようです。転機は小学5年生のとき。担任の先生に半ば強引に演劇の舞台に立たせられ、セリフがスラっと言えた事に自信を持ち吃音を克服されました。「治った」ではなく、あくまで「克服」という表現にしているのは吃音が出ないのは演技をしている時だけだそうです。これがきっかけで演劇の道を目指されています。それでは秋野暢子さんの吃音人生を見ていきましょう。

元祖ダイエット芸能人だった!

来年60歳を迎えるとは思えないスレンダー体型の秋野暢子さん。

実は多数のダイエット本の著者でもあるんです。

彼女がダイエットに成功した秘訣はランニング。

妊娠により20kg以上増えた体重も、わずか1ヵ月で戻したのだとか。

著書によると、まずは数分歩くことから始めること。動くことが習慣になるまでは気負わず、軽く歩くだけでOK。ダイエットは辛く苦しいことではなく、きれいになって嬉しいことなのだと意識を変えてみるのがコツだそうですよ。

今でも毎日10km走る秋野さん。

東京マラソンやマウイマラソンなどの大きな大会にも出場したことがあり、フルマラソンは10回以上も完走されているのだとか。

また、ラジオ体操も併用しており、指導者の資格まで持っています。

ずっと美しく体型維持されてる秋野暢子さんだからこそ、ダイエット本の説得力もすごいですね。

ひっそり歌手デビューしていた

1975年、連続テレビ小説「おはようさん」の主役に抜擢された秋野さん。女優デビューはその1年前、同じく朝ドラのウェイトレス役でした。大阪府出身で、当時は四天王寺高等学校に通っていたそうです。

その後順調に女優としてのキャリアを重ね、現在は演技派女優として知られていますが、実は歌手としての一面もあるんです。

1977年に「愛はみなし児」で歌手としてもデビュー。

1986年には映画の主題歌も歌い上げています。あの有名なバラエティ番組「オレたちひょうきん族」にゲスト出演もされています。残念なことに、発表されてるディスコグラフィーは10作にも満たないまま、1989年を最後に歌手としてのお仕事は休止状態のようです。

吃音を克服!現在はコメンテーターとしても大活躍

裕福な家庭の生まれだったものの、小学生のときに家が多額の借金に追われたことで、学校も休みがちになってしまいます。

人と話すことが苦手で赤面と吃音に悩まされます。

出欠確認のときの「はい」ですら言えないほどだったとか。

ターニングポイントは小学5年生のとき。

担任の先生からの演技のすすめを断りきれず、舞台上にあがります。吃音が出ずにセリフをすらっと言えたことが大きな自信になったようです。

それを機に女優を目指すようになったのだとか。

女優としてデビューして後は、セリフがあらかじめ決まっているわけではないお仕事も多数こなされています。

情報番組でのコメンテーターなんて、その最たるものですよね。「情報ライブ ミヤネ屋」ではレギュラーも務められました。

小気味良い口調で滑らかに話す今のお姿からは、想像もつかない過去でしたね。