日本

平野レミさんの意外な吃音治療方法とは

この方はすごい早口で吃音とは驚きです。しかし、元来吃音者は早口の方が多いですし、どもりを隠そうと早口になるのも吃音の特徴です。それでは平野レミさんの人生を見ていきましょう。

平野レミってどんな人?

1947年3月21日生まれ(69歳)で今ではタレント、料理愛好家として有名ですが、実はシャンソン歌手としてデビューし、その後和田誠と出会い、結婚しました。

和田さんとの出会いのきっかけは、ラジオ番組に出演しているレミさんの声に惚れ込み、「平野さんを紹介してほしい。」と番組に出演している久米宏に頼んだところ「やめといたほうがいい。」と断られ、番組プロデューサーには「責任持てませんよ。」と釘を刺された上でやっと紹介してもらい、10日ほどの交際を経て結婚しました。

結婚後は、育児と主婦業に専念していましたが、両親の影響で家庭料理の研究に力を入れるようになり、料理愛好家として活動を始めました。

常にテンションが高く、早口で話す明るい人柄と誰でも簡単に作ることのできる料理が評価されています。

レミさんといえばレミパン!

レミパンといえば、結婚祝いで定番のプレゼントになっています。

これはレミさんが鍋の製造会社 株式会社オダジマと開発し、鍋とフライパンの機能を兼ね備えた炒める、蒸す、揚げる、炊くことが1台でできるという調理器具です。

レミパンの機能として、蓋が透明で中の状態が見やすく、立てて使えることや蓋中央の蒸気穴から水や調味料を入れることができる、深さが丁度よく混ぜている時具材がこぼれにくいなど便利な機能がたくさんあります。

レミパンができるまでには5~60回の改良が重ねられ、開発費は高級車3台分ほどもかかっているらしいです。

そして、2016年3月には新しくレミパンプラスが発売され、より耐久性が上がり、マグネット内蔵ハンドルでキッチンツール(お玉やヘラなど)が付けられるなどの便利機能もプラスされ、話題になっています。

レミさんの料理は面白い

“生きる放送事故”と呼ばれるレミさんがテレビ番組に初じめて出演したのは、NHK「今日の料理」でした。

実家の伝統料理「牛トマ」を作る際、トマトを手でぐちゃぐちゃに潰して鍋に入れたことで「あの下品なやり方は何だ!」と抗議の電話がNHKに殺到したらしいです。

レミさんはプロデューサーに注意を受けましたが、「私は私のやり方しかできません。」ときっぱり話したそうです。

もうテレビ出演の話は来ないだろうと思っていたらしいのですが、数日後、新聞のTV欄に“平野レミの料理番組はユニークで面白い”と批評が出て、それからは次々と出演依頼が来て今にいたります。

レミさんの大暴走ぶりは有名で、にんにくをボウルで潰したり、水分が足りない場合は重しに使っていた水を拝借したりと見ていて思わず笑ってしまうことがよくあります。

それを期待をして視聴する方も多く、「今日は普通で面白くなかったです。」と言われることもあるのだそうです。

料理番組に新たな風を吹かせ、いつも全力で、面白おかしく美味しい料理を教えてくれるレミさんに今後も期待しましょう。

吃音でも重松清さんのように生きる

この方も子どもの頃から吃音に悩み、小説「きよしこ」はどもりに悩む少年の心情を描く自伝的小説をうまく描かれています。それでは重松清さんの吃音人生を見ていきましょう。

この人ってどんな人?

岡山県久米郡久米町(現・津山市)生まれで、中学、高校時代は山口県で過ごし、1981年、山口県立山口高等学校卒業後、18歳で上京。早稲田大学教育学部国語国文学科卒業後、出版社を経て、田村章や岡田幸四郎など多数のペンネームを持つフリーライターとして独立し、作家となりました。

デビュー作品は、91年の『ビフォア・ラン』で、その後も99年『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞を受賞しました。

更に、『ビタミンF』で第124回(2000年/下半期)直木賞までも受賞しました。

この人の作品は、現代の家族を大きなテーマとしていて、馴染みやすい言葉や普段使っている言葉が多用されているので、小学生でも比較的読みやすいと思います。

実は多彩な人だった!

作家としてだけではなく、ドラマ・映画のノベライズや雑誌記者、ゴーストライターなど、多くのことをしています。特に、最近では、高視聴率だったテレビドラマ『流星ワゴン』や映画作品『アゲイン 28年目の甲子園』を手がけています。他にも、2007年度の第74回NHK全国学校音楽コンクール中学校の部課題曲(めぐりあい)の作詞の担当もしています。

また、矢沢永吉の熱心なファンであり、『成りあがり』を真似て夜行列車でわざわざフォークギターを持って上京するぐらいだそうです。

漫画『あたしンち』も全巻揃え、ボロボロになっているくらいのあたしンち好きでもあります。

野球では、広島カープのファンであり、カープが優勝した時には、スポーツジャパンに特別寄稿した程です。

正直、どれくらいの認知度?

この人の作品は青春モノを扱った作品も多く、甘酸っぱい青春時代の気持ちを思い出させてくれたり、子供の頃に感じた大人の世界の難しさを作品から感じ取ることができます。

だから、読みやすいためか、中学入試、高校入試など試験の場で問題として取り上げられることも多々あり、学生でも大人でも一度は目にしたことがあると言っても過言ではないでしょう。

また、他の小説作家の星新一や三谷幸喜などと比べてみると、劣らず、同等かそれ以上の認知度であり、青春小説作家としての地位を確立しているとも言えます。

個人的には、作品『タオル』がオススメであり、親子3代の家族間の絆の深さや主人公の亡き祖父への思いがひしひしと伝わってきて、臨場感あふれる作品です。

南明奈さんはこうして吃音を治したらしい!

この方が吃音ということはけっこう有名な事実ですよね。今でこそ明るい印象ですが、子供の頃は吃音で悩んでいたらしいです。ただ、吃音の症状は軽かったため今は克服されています。それでは南明奈さんの吃音人生を見ていきましょう。

南明奈ってどんな人!?

バラエティ番組やCMなどで見かけることが多い南明奈さんは「アッキーナ」という愛称で親しまれている人気アイドルです。神奈川県横浜市出身、現在27歳です。そんな南明奈さんが一躍お茶の間の人気になった番組が「クイズ!ヘキサゴン」ではないでしょうか。つるの剛士さん、野久保直樹さん、木下優樹菜さん、里田まいさん、上地雄輔さん、スザンヌさんなどと一緒に出演し、一躍おバカタレントとしてブレイクしました。可愛らしい顔立ちと明るい性格で、その後もバラエティタレントとしても活躍していますよね。また、アイドル好きとしても知られており、ファンクラブに加入し、ライブにも参加しているほどのももいろクローバーZファンです。

レーシングカートの腕はプロ級?

南明奈さんはゲームや漫画、アイドルなど幅広い趣味を持っています。意外なところでは中学時代にサークル活動をしていた和太鼓などもあります。たくさんの趣味を持っている南明奈さんですが、レーシングカートがかなりの腕前であることを知っていますか?休日にはサーキットへ行き、練習に励んでいるそうですよ。オールスター感謝祭で行われたカートグランプリで優勝するほどの腕前です。ヘキサゴンでのカートレースではプロの男性ドライバーを上回る好タイムを出しています。ただ、写真集の撮影で訪れたタイでは、カートでクラッシュしてしまい、鼻の骨にヒビが入ってしまったそうです。その時の写真はあまりにひどかったため、修正を加えたそうですよ。

結婚はまだ?お相手はいるの?

現在27歳の南明奈さんですが、まだ結婚はしていません。ただし、結婚適齢期なのでいつ結婚してもおかしくはないですよね。南明奈さんにはお付き合いしている方はいるのでしょうか?2014年に交際が発覚し、今現在もお付き合いしているのは芸人として活躍中の「濱口優」さんです。年の差18歳のカップル誕生にビックリした方も多いのではないでしょうか。2人ともディズニー好きで何度もデートに行っているそうですよ。芸人の中でもモテると有名な濱口優さんとのゴールインがあるか楽しみですね。クイズ!ヘキサゴンで一緒に活躍していた木下優樹菜さんや里田まいさんも結婚、出産を経験しています。南明奈さんのおめでたい話が聞くことが出来るか、期待したいですね。

どもりがなんだ!秋野暢子さんが吃音を改善した意外な方法

この方も小学校時代から吃音であまり人と話をせずいじめられっ子だったようです。転機は小学5年生のとき。担任の先生に半ば強引に演劇の舞台に立たせられ、セリフがスラっと言えた事に自信を持ち吃音を克服されました。「治った」ではなく、あくまで「克服」という表現にしているのは吃音が出ないのは演技をしている時だけだそうです。これがきっかけで演劇の道を目指されています。それでは秋野暢子さんの吃音人生を見ていきましょう。

秋野暢子さんて、素敵な女優さんだよね!

秋野暢子さんって、最近のテレビドラマ、とと姉ちゃんを見ていても、個性的な女優さんとして、随分活躍しておられます。NHKの銀河テレビ小説「おおさか・三月・三年」にウェイトレス役で出演、デビューされました。それから、NHKの連続テレビ小説「おはようさん」のヒロインをされたり、その後は、演技力も買われ、本格的に女優業に専念されています。その上、歌手活動もされている時もありました。「おれたちひょうきん族」には、時々歌手として、出演されていたり、今の秋野暢子さんからは、想像できないような、素敵な経歴を持っておられます。身長170cmという、背の高い秋野暢子さんは、テレビドラマや、映画でも活躍しておられ、第60回キネマ旬報ベスト・テンでは、主演女優賞もとられた、素晴らしい女優さんの一人です。

秋野暢子さんの私生活、頑張られていますよね!

秋野暢子さんは、TBSのプロデューサーだった、田代冬彦さんと結婚されましたが、19年間の結婚生活でピリオドをうたれました。その間、流産されたり、苦労も多かったとは思いますが、一人娘の夏子さんを、育てられました。シングルマザーとして、頑張って、子育てと女優業を両立させて、育てられたと思います。そんな夏子さんも、今は大学生、年が経つのは本当に早いものですね。そんな、夏子さんと、一回だけ、テレビ出演されたことがあるそうです。娘さんは、芸能界デビューは、しないとのこと。これが最初で最後のテレビ出演になったそうです。それにしても、可愛い娘さんを一人で育てていくのはほんと苦労も多かったはずですよね。それをばねとして頑張ってこられたから、今も素敵な秋野暢子さんなのかもしれません。

秋野暢子さん、料理もマラソンも、趣味いっぱい持っておっれます。

秋野暢子さんは、女優業だけではなく、料理もプロ顔負けの腕前を持っておられます。料理本も数冊出版されているほどの料理好きです。また、最近は、広島カープファンとしても知られています。今年の広島カープの活躍は目を見張るものがありました。広島カープファンとしては、最高の年になったのでは、ないでしょうか。それから、秋野暢子さんは、走るのが大好きだそうです。地方にロケがあってもシューズは欠かさず持っていき、時間を見つけては、ランニングされているそうです。私も走っているのですが、ランニング女子としては、地方のロケにまでシューズを持って行かれる秋野暢子さんは、とても素敵です。その上、ラジオ体操連盟公認指導者の資格も持っておられます。女優業だけでなく多彩な持ち主ですよね。これからもいろんなことに挑戦されて、活躍されるのを楽しみにしています。

意外!内藤大助さんもじつは吃音持ちだったらしい!

強い男という印象がある内藤大助さん。しかし、TVで見てもわかるとおり、じつは優しい性格で内向的な方です。吃音は子供のころから発症されていて、それが原因かはわかりませんが、中学時代にいじめにあい、それがきっかけでボクシングを始められています。ボクシングをはじめたきっかけもいじめっ子を見返すためらしいです。それでは内藤大助さんの吃音人生を見ていきましょう。

奥さん以外は知られていない家族

内藤大助が結婚したのはまだ現役中のことで2歳年上のパッと見もかわいい奥様。

奥様のご実家はお総菜屋さんでまだまだボクシングで実績が出ていないときは奥様のご実家から食事のご支援を受けていたこともあり、奥様のご実家のご両親を大事にしています。某テレビ番組でご両親に一戸建てをプレゼントする特集も放送されていたほど。また、少し露出があるのが2人の息子さん。ブログなどにも登場しますが、ボクシングを習っているのかどうかは不明。

ただ、内藤大助、奥さんの真弓さん、そして2人の息子さんでうつっている写真を見ている限り、非常に仲睦ましい姿がうかがえます。内藤大助の温厚な性格がテレビだけではないことがうかがえてちょっと安心します。

オネエ疑惑?

ボクシング引退後、内藤大助はあらゆるバラエティ番組で笑いを提供していますが、「もうやだあ」というおばさんのような口調としぐさでお茶の間を驚かせてくれました。

実はオネエなのであんなに素敵な奥様と離婚?という噂まで出てくるほどです。

ご本人のコメントからも実は高校時代からもちょっとオネエっぽい気持ちを持っていたそうです。さらに驚くのはメイクまでためしたことがあるが似合わないのでやめたという事実までカミングアウトしてしまいました。

このカミングアウト後は公然といまでも女装したい、ゲイバーで働きたいとコメントするようになってしまいました。

肝心の奥さんはさすがにここまでくるとひどいと少しあきれかえったご様子。

子供のころは?

ボクシング世界チャンピオンながら、自分自身が中学時代はいじめられっ子だったということを自らカミングアウトしています。実は、日本チャンピオンになったときに当時のいじめっ子と再会したときに当時のトラウマから少しおびえながら、接しているときにいじめっ子のほうが過去のことを忘れていたことを知り、いかった内藤大助が怒って過去のトラウマを払い去ることができたというエピソードは有名です。また、内藤大助の母親は非常に厳しく、本人も「母親から一度も褒められたことはない」と話しています。日本チャンピオンになってからも「世界チャンピオンになってからほめる」という宣言をしたほど。しかし、その一方で息子がいじめられていたことを知らず、自責の念もあると母親は語っています。

秋野暢子さんは実は吃音者だったって知っていましたか?

この方も小学校時代から吃音であまり人と話をせずいじめられっ子だったようです。転機は小学5年生のとき。担任の先生に半ば強引に演劇の舞台に立たせられ、セリフがスラっと言えた事に自信を持ち吃音を克服されました。「治った」ではなく、あくまで「克服」という表現にしているのは吃音が出ないのは演技をしている時だけだそうです。これがきっかけで演劇の道を目指されています。それでは秋野暢子さんの吃音人生を見ていきましょう。

元祖ダイエット芸能人だった!

来年60歳を迎えるとは思えないスレンダー体型の秋野暢子さん。

実は多数のダイエット本の著者でもあるんです。

彼女がダイエットに成功した秘訣はランニング。

妊娠により20kg以上増えた体重も、わずか1ヵ月で戻したのだとか。

著書によると、まずは数分歩くことから始めること。動くことが習慣になるまでは気負わず、軽く歩くだけでOK。ダイエットは辛く苦しいことではなく、きれいになって嬉しいことなのだと意識を変えてみるのがコツだそうですよ。

今でも毎日10km走る秋野さん。

東京マラソンやマウイマラソンなどの大きな大会にも出場したことがあり、フルマラソンは10回以上も完走されているのだとか。

また、ラジオ体操も併用しており、指導者の資格まで持っています。

ずっと美しく体型維持されてる秋野暢子さんだからこそ、ダイエット本の説得力もすごいですね。

ひっそり歌手デビューしていた

1975年、連続テレビ小説「おはようさん」の主役に抜擢された秋野さん。女優デビューはその1年前、同じく朝ドラのウェイトレス役でした。大阪府出身で、当時は四天王寺高等学校に通っていたそうです。

その後順調に女優としてのキャリアを重ね、現在は演技派女優として知られていますが、実は歌手としての一面もあるんです。

1977年に「愛はみなし児」で歌手としてもデビュー。

1986年には映画の主題歌も歌い上げています。あの有名なバラエティ番組「オレたちひょうきん族」にゲスト出演もされています。残念なことに、発表されてるディスコグラフィーは10作にも満たないまま、1989年を最後に歌手としてのお仕事は休止状態のようです。

吃音を克服!現在はコメンテーターとしても大活躍

裕福な家庭の生まれだったものの、小学生のときに家が多額の借金に追われたことで、学校も休みがちになってしまいます。

人と話すことが苦手で赤面と吃音に悩まされます。

出欠確認のときの「はい」ですら言えないほどだったとか。

ターニングポイントは小学5年生のとき。

担任の先生からの演技のすすめを断りきれず、舞台上にあがります。吃音が出ずにセリフをすらっと言えたことが大きな自信になったようです。

それを機に女優を目指すようになったのだとか。

女優としてデビューして後は、セリフがあらかじめ決まっているわけではないお仕事も多数こなされています。

情報番組でのコメンテーターなんて、その最たるものですよね。「情報ライブ ミヤネ屋」ではレギュラーも務められました。

小気味良い口調で滑らかに話す今のお姿からは、想像もつかない過去でしたね。

吃音でも藤沢周平さんのように生きる

藤沢さんも少年時代からの吃音に悩んでおられた一人です。吃音が治ったきっかけは中学時代に学級委員長級長をつとめ、人前で話す事に自信がついたためと話されています。「いつの間にかに治った」というところは脳科学に基づく吃音治療に通ずるところがありますね。それでは藤沢周平さんの吃音人生を見ていきましょう。

この人ってどんな人

日本の小説家で主に時代小説(武家もの)で大変有名な作家です。1927年12月生まれ、1997年1月26日に69歳で亡くなっています。代表作には「暗殺の年輪」「白き瓶」「蝉しぐれ」などがあります。映画化も多数されており、有名なものでは真田広之主演の「たそがれ清兵衛」永瀬正敏主演の「隠し剣鬼の爪」木村拓哉主演の「武士の一分」豊川悦二主演の「必死剣鳥刺し」東山紀之主演の「小川の辺」など。ちなみに東山紀之は藤沢周平の家族との日々の生活や直木賞を受賞するまでの道筋を描いたTBSテレビのドラマ「ふつうが一番」にも出演しています。藤沢の作風は武家ものでも池波正太郎や司馬遼太郎と異なり、慎ましい生活を送る下級武士の貧しくとも忘れない武士としての心得、自尊心を美しく描き上げています。

実は苦労人、波乱万丈な人生

藤沢周平は山形県鶴岡市の農家で生まれ、自身も幼い頃から農業の仕事を手伝いながら学校に通っていました。生活は決して楽ではないが、真面目に仕事をし、家族が仲良く平凡な毎日を暮らしていく農村風景が彼の作品に登場する主人公の日常と繋がっているように思います。山形県立鶴岡中学校の夜間部に入学し、昼間は印刷会社などで働きながら、夜は学校に通う苦学生でした。中学を卒業後師範学校に進み、県内の中学校の国語と社会の教師として勤務しますが、その後、結核のため、退職することになります。病気が治ってからは勤め口を探すのに苦労し、なんとか東京の業界新聞社に入社しますが、倒産が相次ぎ、各社を転々とすることになります。その後、結婚し、直木賞を受賞するまでは生活面では大変苦労されたようです。

こんなにもある受賞

藤沢周平が初めて「溟い海」でオール讀物新人賞を受賞したのが44歳の頃ですので、大変遅咲きの作家だったといえます。しかし、その翌々年の1973年には代表作「暗殺の年輪」で直木賞を受賞してから生活は一変、勤めていた業界新聞社を退職し、本格的に作家活動に入ることになり、その後はそれまで心に溜まっていたものを吐き出すがごとく精力的に作品を作り続け、順調に名だたる賞を受賞していきます。1986年に「白き瓶」で吉川英治文学賞を受賞、1989年に「市塵」で芸術選奨文部大臣賞、その後は作家としての受賞として1989年に菊池寛賞、1994年朝日賞、1995年には紫綬褒章を受賞し、亡くなる年である1997年には山形県県民栄誉賞を受賞することになります。

釈由美子さんもじつはどもっていた過去を持つ

現在では女優やタレントとして活動されている彼女ですが、子どもの頃はやはり吃音で悩まれていた時期があったそうです。しかし、幸いのもどりの症状が軽かったため、いつの間にか吃音は出なくなったとのこと。それでは釈由美子さんの吃音人生を見ていきましょう。

釈由美子さんはどんな人?

釈由美子さんは、97年大学在学中にヤングマガジンの「Missキャンパスグランプリ」に選ばれ、デビューをしました。その後、グラビアや女優として活躍しており、特にドラマ「スカイハイ」での印象が強く残っています。

愛称は「釈ちゃん」で、バラエティーに出演すると、少し天然っぽいトークを展開するなど、愛されるキャラクターです。

一方で、すごくメリハリのあるボディの持ち主で、セクシーキャラの一面もあります。

様々な恋愛歴を報道されていたり、整形疑惑やブログ炎上など、良くも悪くも話題に事欠かない芸能人と言えるかもしれません。

2015年10月にレストラン経営のイケメン実業家結婚し釈さんの38歳の誕生日にあたる2016年6月12日に第1子の男の子を出産しました。

釈由美子の整形疑惑

釈由美子といえば、度々整形疑惑でインターネットで騒がれています。昔の写真と比較してみると、鼻が高く、目が大きくなっており、びっくりするほど顔が違うので、整形は間違いないと言えると思います。他の芸能人も整形はよく行われていることだと思いますが、ここまで露骨に違いがわかることが珍しいので、話題になってしまったようです。

ともあれ、38歳で出産をし、今もブログなどで息子さんを育てながら活躍する釈さんの姿は、非常にたくましいですよね。ブログのコメントなども悪く言うとあざとい(よく言えば賢い)と批評されており、整形しても芸能界で長く生き残っていること自体がすごいことなのかもしれません。これからは赤ちゃんビジネスでもやるのかな?などと想像してしまします。

釈由美子さんのブログ炎上

釈由美子さんは過去の恋愛でも度々報道があったり、何かと話題に欠かない人です。

過去にはミュージシャンのGacktさんとの交際が報道されたり、イケメン獣医と結婚を前提に交際していることを明らかにしていましたが、最終的には実業家と入籍したことを発表しました。

最近は息子さんの話題を中心としたブログが話題です。

「私にとって、一番耐えられないことが起きまして」という言い回しで、あえて読者の想像を掻き立てたりするなど、戦略的にブログを活用しています。

また、息子の授乳の話を「先っちょだけくわえると、うまく吸えてなくて切れてしまう」などどエロティックとも思える表現をしており、読者からは「あえて想像させる言い回しをしていてあざとい」といった反応があるようです。

どもりがなんだ!田中角栄さんが吃音を改善した意外な方法

この方も吃音者として有名ですよね。第64代・65代内閣総理大臣。高校を卒業せずに総理大臣になった反面、凄腕として今でも伝説として取り上げられることもあります。しかも人を魅了するスピーチの天才として。このようなエピソードからは吃音者とは思えないですが、やはり幼少時から吃音に悩まされていたようです。しかし歌っている時だけ吃音が出ない事に気づき浪花節を歌って吃音を克服したという強者です。歌うときはどもらないというのはまさしく吃音の特徴ですね。それでは田中角栄さんの吃音人生を見ていきましょう。

人物紹介

田中角栄は1972年7月から1974年12月まで日本の内閣総理大臣を務めた人物である。

歴代の内閣総理大臣の中では、

最も有名な総理大臣の1人である事は間違いないであろう。

田中角栄は新潟県で7人兄弟姉妹の唯一の男子であった。

父親の事業の失敗により、

幼少期は貧しい暮らしを余儀なくされた。

戦後田中角栄は政界に進出するも収賄の容疑で逮捕されるなど、山あり谷ありの政治家人生であったが1948年に行われた衆議院総選挙に獄中立候補し、

保釈後の1949年に再選を果たすなど、

逆境に負けないエネルギーを持っていた。

1972年に内閣総理大臣に就任、

その後1974年に退任し、

退任後ロッキード事件の際に自民党を離党、

ロッキード事件の決着を待たずして1933年に没した。

田中角栄の政策

田中角栄の在任中の主な政策としてあげられるのが「エネルギー政策」と「日中国交正常化」である。

「エネルギー政策」は当時安全性において不安視されていた原子力発電の推進である。

日本は広島長崎の例もあり、

原子力発電には否定的な風潮であった。

もとより資源のほとんどない日本がエネルギー危機を回避するためには、

エネルギー供給源を分散し、

一部が使えなくても他で補えるようにという考えから、

原子力発電を推進したのであったが、

その為には原子力発電所を作る場所の住民の反発を「電源三法」を成立させ、

交付金などの形で地域の反発をかわした。

また、

「日中国交正常化」を成し得たことは田中角栄の大きな功績であるが、

これは田中角栄の行動力が成し得たことだといえる。

しかし田中角栄の外交能力に関してはその際のやり取りからは疑問視する声もある。

田中角栄の名言

田中角栄は様々な名言を残している、

その幾つかを紹介したいと思う。

「貸した金は忘れろ」

田中角栄に若手議員が100万円の借金を申し出た時、

田中の秘書がその議員に届けたのは300万円であった。

その中にはこう記されていた、

1、まず100万でけりをつけろ

2、次の100万でお前の不始末で苦労した周りの人たちに、うまいものでも食わせてやれ

3、次の100万は万一の為に持っておけ

4、以上の300万円は返済無用である

田中角栄の器の大きさがそうさせたのか、

なんともスケールの大きなひとではないだろうか。

「人を愛さなきゃダメだ」

これは人間はみんな出来損ないで失敗もする、

そんな人を愛せなきゃダメだ、

そこにしか政治はないし、

政治の原点はそこにあるんだ。

といった意味の言葉である。

幼い頃を貧乏で過ごした田中だから思うことなのかもしれない。

他にも田中角栄は数々の名言を残している。

賛否両論あるがどれも考えさせられる言葉だ。

篠田正浩さんの壮絶な吃音人生とは

この方も小学生の時に吃音がで始め、人との関わりを避けた結果、本を読む楽しさや知識欲を満たす喜びを知ったとのこと。この吃音体験が結果的に「瀬戸内少年野球団」「写楽」など数多くの名作を作り上げることに繋がったと話されています。それでは篠田正浩さんの吃音人生を見ていきましょう。

経歴

1931年3月9日、岐阜県岐阜市で生まれました。

早稲田大学第一文学部を卒業後、松竹に入社します。

その後、1966年にフリーとなり、翌年には独立プロダクション表現社を設立しました。

60年代後半から70年代前半は「心中天網島」(1969年)や「無頼漢」(1970年)

等の先鋭的な作品を独立プロダクションから連発。

70年代後半からは大手映画会社配給の大作が多くなっています。

1990年に「少年時代」で第14回日本アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞しました。

カンヌ国際映画祭のコンペディションへは3度の出品を果たしました。

その後、2003年に大作「スパイ・ゾルゲ」の製作を最後に映画監督からの引退を発表しました。

受賞作品

1970年 キネマ旬報作品賞・監督賞受賞 (『心中天網島』)

1970年 毎日映画コンクール作品賞受賞 (『心中天網島』)

1970年 アデレード映画祭批評家賞受賞 (『無頼漢』

1972年 毎日映画コンクール作品賞・監督賞受賞 (『沈黙 SILENCE』)

1977年 アジア太平洋映画祭監督賞受賞 (『はなれ瞽女おりん』)

1984年 ヒューストン映画祭外国語映画賞受賞 (『瀬戸内少年野球団』)

1985年 ブルーリボン賞作品賞受賞 (『瀬戸内少年野球団』)

1986年 第36回ベルリン国際映画祭銀熊賞 (芸術貢献賞)受賞 (『鑓の権三』)

1991年 第14回日本アカデミー賞作品賞・監督賞受賞 (『少年時代』)

1991年 ブルーリボン賞作品賞・監督賞受賞 (『少年時代』)

1991年 毎日映画コンクール作品賞受賞 (『少年時代』)

1996年 第19回日本アカデミー賞編集賞受賞、作品賞・監督賞・脚本賞ノミネート (『写楽』)

1999年 富川国際ファンタスティック映画祭監督賞受賞 (『梟の城 owl’s castle』)

2010年 第38回泉鏡花文学賞受賞 (『河原者ノススメ―死穢と修羅の記憶』)

妻・岩下志麻さんとのなれそめ

篠田正浩の奥様は映画「極道の妻」で有名な女優・岩下志麻さん。

来年(2017年)で結婚50周年となります。

二人のなれそめについては、ある雑誌のインタビューで、奥様の岩下志摩さんが語られていました。

二人が交際を始めるきっかけとなったのは、篠田正浩さんが監督を務めた映画「暗殺」の撮影終了後の打ち上げとのことです。

東京の赤坂のナイトクラブで打ち上げをしているとき、二人は当時流行っていたマンボを踊ることとなりました。

その時、岩下志麻さんは「あぁ、私はこの人と結婚するなぁ」とふと感じ、そのまま「私、監督と結婚する気がします」と伝えたのだそうです。

それを聞いた監督は唖然として踊りをやめてしまったそうですが、この出来事がきっかけで二人の交際がスタートすることとなります。