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どもりがなんだ!スキャットマン・ジョンさんが吃音を改善した意外な方法

はじめて彼が私と同じ吃音者であると聞いたときはびっくりしました。吃音を逆手にとり、早口で歌う「テクノスキャット」は大ヒットしました。あの「ぴーぱっぱぱらっぽぅ、ぱらぱらぱらぱらぴーぱっぱぱらっぽぅ」というあれです。ちなみに「スキャットマン基金」とは吃音者支援の団体でいかに吃音に注力していたかがわかります。

プリンのCMでお馴染みの

スキャットマン・ジョンという名前だけを聞いてもピンとこない人が多いかもしれませんが、90年代にプリンのCMで「プッチンパポペ~♪エビバディプリンプリン♪」というCMソングを歌っていたおじさんと言われれば、20代以上の年代の人は覚えがあるはずです。

白のセットアップに白のハットを被って口ひげを生やしたあのおじさんがスキャットマン・ジョンです。

彼の曲はスキャットという独特の技法を用いた歌唱法が特徴で、「ドゥビドゥバ」や「シャバダバ」のように自らの声をまるで楽器の音色のように操ることで、一つのサウンドを作り上げていました。

スキャットはジャズなどの即興性の高い音楽に取り入れられることが多く、日本でも「夜明けのスキャット」や「恋のフーガ」でも聴くことができます。

吃音症と幼少期

スキャットマン・ジョン、本名ジョン・ポール・ラーキンは子どもの頃から吃音症という障害を抱えており、言葉を上手く発することができない、どもるなどの症状に悩まされていました。

そのため人前で喋ることに不安を抱え、言葉以外の表現方法を探しているうちにピアノと出会い、10代の頃からジャズクラブでジャズピアニストとして活躍をしています。

しかし次第にアルコールやドラッグに溺れるようになり、一時期は音楽と離れていた時期もありました。

40代になると妻の助けもあり、それらの依存症を克服すると共に、自身の吃音症とも真摯に向き合うようになります。

そこで吃音症を生かしたスキャットという歌唱法に出会い身につけることで、スキャットマン・ジョンが誕生することになります。

遅咲きのデビュー

40代後半から50代になり別の仕事をしていたスキャットマン・ジョンは、テクノやヒップホップのサウンドに自信のスキャットをミックスさせた曲を作ることで一大ヒットを成功させます。

吃音に悩む人たちに向けたメッセージや今までにない創作性の高いサウンドは世界中で大ヒットをして、日本でもアルバムが250万枚のダブルミリオンセラーを記録するなど爆発的な人気を博しました。

日本の吃音者団体とも交流があり、イベント活動に参加をしたり賞金を寄付したりなど、吃音者の社会的認知に向けても盛んに行動を起こしていました。

晩年になると咽頭がんを患っていたこともあって、ヴォーカルを他のアーティストに任せ、自身の音楽活動は控えることになりました。

1999年に亡くなってからも妻が率先してスキャットマン基金という吃音者団体を設立して、吃音に悩む人たちをサポートしています。

ジュリア・ロバーツさんは実は吃音者だったって知っていましたか?

子どものころは吃音に悩んでいたという記録があります。どうやって治したかはいまなお不明です。

この人はどんな人

両親が共に役者の3番目の子として1967年にアトランタに生まれました。高校を卒業後にニューヨークでオーディションを受ける日々が続きます。1998年に映画デビューをします。翌年の「マグノリアの花たち」でゴールデングローブ賞の助演女優賞を受賞して注目されます。さらに、1990年リチャード・ギアと共演した「プリティ・ウーマン」で当たり役となって映画も大ヒットしてスターの座をつかみました。2001年には「エリン・ブロコビッチ」で主演女優賞を受賞します。2006年にブロードウェイの舞台作品に出演しましたが、評判はあまり芳しくなかったようです。理由は不明ですが、反日という噂がありましたが、2010年8月に初来日してフアンを喜ばせました。

こんな私生活

これまでに多くの男性との交際歴があり、結婚と離婚を繰り返している。2002年に映画カメラマンと結婚し、子供を3人出産しています。「幸せの教室」で共演したトムハンクスとは長年の友人で今も家族ぐるみの付き合いをしています。2009年にインドで撮影された映画「食べて、祈って、恋をして」の時に、ヒンドゥー教に改宗しています。この撮影の際にヒンドゥー教に興味を持ったのではなく、かねてからヒンドゥー教を学んでいたと語っています。信仰の面で厳格さを持つ彼女の真摯さが高く評価されて、アマリカのヒンドゥー教団体「ユニバーサル・ソサエティ・オブ・ヒンドゥーイズム」の指導者であるラジャン・ゼッド氏は彼女に栄誉を与えています。

多くの資産

2001年6月に豪華なハイテク仕様のトレーラー車を日本円で4,200万円で購入したことで話題になりました。このトレーラー車には、3つの寝室と豪華なバスルーム、デラックスなキッチン、衛星放送のアンテナ、自動進路設定システム等が付いているといいます。2005年には、「最も出演料の高い女優ランキング」で、映画1本の出演料が2000万ドルで1位になりました。2007年には、エンターテイメント界で活躍する女優で資産の多いトップ20の中で総資産169円で第8位にランクされました。映画「バレンタインデー」の出演では、わずか6分間の出演で2億7000万円の出演料だったと言います。またイタリアのコーヒーメーカーのコマーシャルでは、台詞なしの45秒で1億3200万円だったと言います。

サミュエル・L・ジャクソンさんもじつはどもっていた過去を持つ

子どもの頃やはり吃音でからかわれた経験を持っておられ、今でも治っていないそうです。驚くべきはその特徴的な声を活かして声優でも活躍しているというのですからすごいですよね。それでは彼の吃音人生を見ていきましょう。

こんな映画にも出てた!

超有名な俳優サミュエル・L・ジャクソンも、現在67歳(2016年9月現在)。

本当に数々の作品に出演しています。

子供のころに観ていた映画に、実は出ていたという事もしばしば。

たとえば『星の王子 ニューヨークへ行く』に出てたって知ってました?

大人になって、久々に観たときに気が付きました。

『星の王子 ニューヨークへ行く』は、当時の大スターエディー・マーフィーが主演した、コメディー映画です。

サミュエル・L・ジャクソンはハンバーガー屋に入った強盗役という、超脇役で出演。

エディー・マーフィーにこてんぱんにやられてしまいます。

フューリー長官や、紫色のライトセーバーを振り回すメイス・ウィンドゥの印象が強い今では、考えられないやられっぷりです。

80年代の映画を漁ってみたら、もしかするとサミュエル・L・ジャクソンの若かりし頃に出会えるかもしれません。

実はあの人の大ファン

誰もが尊敬する名優サミュエル・L・ジャクソンですが、彼が大ファンだと公言している人を知っていますか?

実はサニー千葉こと、千葉真一です。

日本でも不思議な魅力とカッコいいアクションで熱狂的ファンがいる千葉真一。

実はサミュエル・L・ジャクソンも「サムライ映画」が大好きなのだそうです。

千葉真一に会ったとき、直立不動でサインをおねだりしたという逸話も…。

想像するとちょっとかわいいですね(笑)

『アベンジャーズ』シリーズのフューリー長官を演じる際には、かつて千葉真一が演じたの柳生十兵衛を参考にしていたという話もあります。

プライベートでも2人は仲が良く、家族ぐるみのお付き合いをしているそう。

いつか二人が「サムライ映画」で共演する日もあるかもしれませんね。

最新作はキングコング!?

『ターザン:REBORN』の記憶も新しいサミュエル・L・ジャクソンですが、すでに次の映画の公開が決まっています。

サミュエル・L・ジャクソンの映画最新作は来年2017年公開の『コング: スカル・アイランド』です。

『コング: スカル・アイランド』はキングコングの誕生について描かれた映画だそうで、先日公開された予告編を観る限り、手に汗にぎる内容になっているようです。

しかし、「ターザン」に引き続き「キングコング」とは、なかなか興味深いですね。

詳しい情報はまだ出てきていないので、早く詳細が知りたいところです。

ちなみにサミュエル・L・ジャクソンはキングコング役ではないということは、分かっていますよ(笑)

さらにこの『コング: スカル・アイランド』の「キングコング」は続編でハリウッド版「ゴジラ」と対決することがすでに決まっているそうです。

サミュエル・L・ジャクソンはどのような役で、どういう風にこの怪獣たちに絡んでいくのでしょう。

今後が楽しみです。

サマーセット・モームさんの壮絶な吃音人生とは

自伝小説である「人間の絆」で、足の障害をもつ主人公が描かれていますが、これは吃音を持つ自分自身を描いたとされています。実際に幼いころからの吃音をもっており、それがコンプレックスになっていたとのこと。

フランス生まれのイギリスの人気作家

フランスのパリで生まれ、8歳や10歳のときに母親と父親を立て続けに亡くし、それを機にイギリスの叔父の元へと引き取られました。

医師免許を取得できるほどの博識で、処女作の「ランペスのライザ」を書き上げます。ですが好評は得たものの、人気作家にまではなれず、次々と作品を書くものの芳しい評価は得られませんでした。

ですが「ドット夫人」や「スミス」などの戯曲は一定の評価を得ました。その後第一次世界大戦の折、水から志願して前線の病院に勤務、諜報機関で活動しながら、作家としての仕事にも精を出していました。

そして諜報活動休止後に書いた「月と六ペンス」という小説がアメリカでベストセラーになり、それまでに書いた作品も注目され、一躍人気作家の仲間入りを果たすことになったのです。

かなりの旅行好き!

サマーセット・モームは旅行好きで、世界中を巡っています。1905年には「聖母の国」という旅行記を出しているほどです。

アメリカやイタリア、スイス、マレーシア半島など様々な場所に出かけており、気に入ったところには長期滞在することもありました。

晩年になってもフットワークは軽く、長期滞在はあっても生涯一つところに留まることはありませんでした。

さらにモームが滞在したザ・オリエンタル・バンコクというホテルのスイートルームには、モームの名前をモチーフにしたものがあるほどです。他にもシンガポールMRTという場所にはサマセット駅という駅も存在します。

そうした各地での経験が、モームの描く作品にも如実に表れているのです。

モームはゲイだった!

モームは同性愛者としても非常に有名です。とはいえ生涯独身だったわけではなく、結婚して一人娘も設けています。

それもそのはずでモームは同性愛者であることは公言してはいませんでした。ではどうしてそのことが知られるようになったかというと、ある裁判が原因だと言われています。

モームが残した遺書には秘書へ遺産を贈る旨が書かれていました。それも莫大な金額です。なぜ秘書に残すのかと不満を感じた遺族が異議申し立ての裁判を行ったところ、実はその秘書がモームの恋人であることが明らかになったそうです。これを機にモームが書いた作品に、同性愛者であることを裏付ける描写があったとまことしやかに囁かれるようになったのです。

ですが一説であり、当人は同性愛者であることを認めたくなかったから結婚したと甥は話しているそうです。