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意外!ウィンストン・チャーチルさんもじつは吃音持ちだったらしい!

イギリスの首相です。第二次世界大戦の勝利に導いたとして有名な人物。雄弁家として知られているが、過去に吃音を含めた言語障害に悩まされていた過去を持つ。最後は自分で乗り切ったと告白している。ちなみにイギリスでは吃音はジェントルマンの証とされていたこともあるというから驚きですよね。理由は吃音者は繊細で共感力、想像力があったことが要因のようです。

戦車を生み出した張本人!

戦車は兵器として有名です。実は戦車のアイデアを考えたのはチャーチルなのです。

第一次世界大戦のときに、農業用トラクターに機関銃と防弾鋼板を取り付ければ、相手の包囲網を突破できるのではないかと提案しました。これが今なお使われている戦車の核となったアイデアなのです。

とはいえ現在の戦車とチャーチルが考えた戦車には違いがあります。というのも初めて戦車が投入されて以降、イギリス以外の国もこれは使えると開発を始めたからです。各国で独自の進化を遂げた戦車は誕生当時とは異なっているのです。

とはいえその根本となるアイデアを生み出したのがチャーチルであることに変わりはありません。こういった兵器を生み出してしまったことと、戦争時に活躍した政治家であることから「戦争屋」とも呼ばれているのです。

プロにもなれるほど画家の才能!

ウィンストン・チャーチルは絵の才能に非常に長けていました。40歳と遅くから絵を描き始めたにも関わらず、500を超える作品を生み出しているのです。

1925年には名前を隠して投稿した作品が金賞を受賞しており、当時はアマチュア画家にしてはうますぎると賞賛されたほどです。

後に描いたのがチャーチルであると画壇にも知られることになるのですが、そのときに歓迎を受けたことをきっかけに、アマチュア画家という一面を政治にも用いるようになったそうです。

とはいえチャーチルは絵を心の安らぎの一環として愛しており、奥さんはとある作家に絵がなければとっくに心臓病で亡くなっていたかもしれないと語ったそうです。

このようにチャーチルにとって絵はなくてはならない存在だったのです。

実はノーベル文学賞を受賞している!

ウィンストン・チャーチルは回顧録の『第二次世界大戦』という作品で、ノーベル文学賞を受賞しています。しかも同じ年の文学賞の候補にかの有名な作家ヘミングウェイがいたそうです。

若い頃には新聞社の特派員として働いたことがあり、多くの記事を書いています。記事を書くためにも多くの書物を読み漁っていて、その経験が後にノーベル文学賞を受賞できるほどの文章力を獲得することに繋がったのでしょう。

政治家になった後もチャーチルは実に多くの本を出版しています。人々の心を捉える優れた言語センスを持っていたと言われており、演説では多くの人をあっと驚かせました。その力が文章にも表れているのです。

戦争の経験を持っていることも、後世にまで残る名著を残すことにも繋がったと言えるでしょう。

マリリン・モンローさんの意外な吃音治療方法とは

今なお世界で愛される彼女も吃音者でした。両親の離婚など壮絶な生い立ちにより吃音になったのではないかと見られています。それでは彼女の吃音人生を見ていきましょう。

名前の秘密

1926年6月1日、アメリカ・ロサンゼルスで片親のもとに生まれたマリリン・モンロー。その時の本名はノーマ・ジーン・モーテンソン、しかし程なく母親によって姓が変更されノーマ・ジーン・ベイカーとなっています。

ノーマというファーストネームは、映画好きだった母グラディスが当時好きだった女優ノーマ・タルマッジから、ジーンは1930年代のセックス・シンボル、ジーン・ハーロウからとられたと言います。

のちに女優の道に進み、アメリカのセックス・シンボルとなったマリリン・モンローにとって、その事は偶然以上の、なにか運命のようなものを感じずにはいられません。

孤独を感じながら愛に生きた彼女の生涯。その残酷な結末も、神によってあらかじめ決められたものだったのでしょうか?

愛に生きた彼女の男性遍歴

「私がこの世で何をおいても求めているものは、愛し愛されること」という言葉を残しているマリリン・モンロー。

半年で高校を中退したモンローは、母の友人のすすめで16歳のときに最初の結婚をします。お相手は、ロッキード航空機製造会社で整備工として働いていたジム・ドハティ。

一説には15才の時に初めての出産をしているそうですが、その子は里子にだされ、そんな事もあってか半ば無理やりに結婚をさせられたと言います。

しかし彼女はその後15回も中絶手術をしていて、子供を生めない体になってしまいました。

トップスターとなったモンローは、1954年にニューヨーク・ヤンキースのスター選手ジョー・ディマジオと結婚します。二人の結婚生活は幸せいっぱいに思われましたが、そう長続きはせず9ヶ月での離婚となってしまいました。

その後、1956年には劇作家のアーサー・ミラーと結婚しています。

謎に包まれたJFK、そしてモンローの死

1961年にはアーサー・ミラーとも別れる事になりますが、それ以前からアメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディとの関係が取りだたされています。二人の仲はマフィアと関係の深いと言われているフランク・シナトラが取り持ったと言われています。

J・F・ケネディの1962年の45才のバースデーパーティーには、艶かしいドレス姿で「ハッピーバースデイ・ミスター・プレジデント」と歌い、ケネディに「いつ引退しても悔いはない」と言わしめましたが、実はこの時すでに二人の関係は終焉を迎えていたようです。

ケネディはその後暗殺される事となりますが、その謎は未だに解明されていません。

同様にマリリン・モンローの自殺も、多くの謎に包まれています。

アメリカの国民に愛された二人の死。

「本当の恋人は、宙を見ているだけでゾクゾクさせてくれる」とマリリンは言っていますが、二人は今”ソラ”の上で幸せな生活を送っているのでしょうか?

ボブ・ラブさんはこうして吃音を治したらしい!

NBAのスーパースターです。現役時に活躍したシカゴ・ブルズの背番号「10」はいまなお永久欠番となっています。そんな彼も吃音であったため、引退後7年間も定職に就けずにいたそう。言語療法士のもとで改善リハビリを行い吃音を克服したと言われています。それではボブラブの吃音人生を見ていきましょう。

当初は一プレイヤーに過ぎなかった?!

ボブ・ラブはNBAで活躍したプロバスケ選手です。ですがNBAに入った当初は大活躍の選手ではなく、多くいる選手の一人に過ぎなかったのです。

しかしシカゴ・ブルズに移籍したこととヘッドコーチのディック・モッタの指導を受けたことがきっかけで、徐々にその才能が開花し始めるのです。1969-70シーズンにおいて、21.0得点8.7リバウンドの好成績を残し、チームのエーススコアラーとして名を馳せることになります。

その後もラブは1970-71シーズンで好成績を記録し、オールスターに初めて選ばれたのです。

当初は評価が低かったラブでしたが、ディック・モッタというヘッドコーチと出会ったからこそ、NBAでトッププレイヤーとして名を馳せることができたというわけです。

引退直後に不幸一直線?!

ラブは引退後、故障した背中の容態が悪化して、医者から歩けなくなるかもしれないと診断されました。そのときに妻から離婚を申し渡され一人になってしまいます。

手術とリハビリのおかげで歩行困難になることはありませんでしたが、吃音症ゆえになかなか仕事が見つかりませんでした。仕事に就けなかった7年間の間に貯めた財産も底をついてしまいます。

そんな不幸の真っ只中にいたラブでしたが、チェーンデパートの「ノードストローム」に給仕したことがきっかけで人生が上向き始めます。

ノードストロームのオーナーが真面目なラブの働きぶりに感心し、吃音症のラブのために言語療法士を紹介しました。その言語療法士の治療のおかげで吃音症の克服に成功し、現在は全米屈指のスピーチをする人物として知られています。

ブルズで成し遂げた偉業!

ボブ・ラブはシカゴ・ブルズの歴史を大きく変えた選手です。ラブ加入後の1974-75シーズンで、シカゴ・ブルズは初の地区優勝を果たします。そして強豪チームとなったシカゴ・ブルズの黄金期を、攻守の両面からラブは支えたのです。

また現役時代、ラブは通算で12623得点挙げています。この記録は引退時点では歴代1位であり、2014年においては歴代3位の記録となっています。

ラブが着けていた10番は今では永久欠番となっています。ですが永久欠番が決まった当時、すでにアームストロング選手が10番を身につけていました。ですのでアームストロング選手は許可を取って、10番のままプレイすることにしたそうです。

ラブ選手がいなければ、シカゴ・ブルズも有名にはならず、多くの名選手も生まれなかったかもしれません。バスケ界に与えた影響は大きいと言えます。

意外!ブルース・ウィリスさんもじつは吃音持ちだったらしい!

ブルース・ウィリスは高校時代に吃音に悩まされていたらしいのですが、ステージ上だとどもらなかったらしく、演劇部に所属。その後、生徒会長も努めるほどまで治ったそうです。なんか秋野暢子さんみたいなエピソードですね。その後は「ダイハード」シリーズや「アルマゲドン」などが世界的大ヒットとなったのは周知の事実です。それでは彼の吃音人生を見ていきましょう。

この人の生い立ち

ブルース・ウィリスは1955年、3月19日に西ドイツのイーダー、オーバーシュタインで誕生しました。

父親は、アメリカの兵士でデイビッド・ウィリスで

母親は、マレーネ・Kという人物でドイツ人でした。

1957年、父のデイビッドが軍隊を除隊して家族を連れアメリカのニュージャージー州カーニーズポイント郷

へと移り住みます。

子供の頃ブルースは、少し内気な少年だったといわれていますが彼のテレビや映画でセリフを喋っている姿を見るととても想像できませんね。

そして、彼は地元高校を卒業後、警備員として働いたり私立探偵としてもはたらいていたそうです。

こうして色々な仕事をしていた彼ですが、俳優になることを決意し大きく人生の舵をきったのです。

彼の代表作品

ブルース・ウィリスはこれまでに数多くの映画やテレビに出演してきました。

彼が、私立探偵業を辞めて俳優を目指しはじめた頃の作品が「こちらブルームーン探偵社」という

作品でした。この作品は第5シリーズまで続き彼はコメディ役者として活躍します。

そして、1988年には、皆さんご存知の代表作「ダイハード」に出演します。

この映画は、世界的に大ヒットして、全世界で1億4千万ドル以上の興行収入を得ます。

彼はこの映画でニューヨーク市警の部長刑事ジョン・マクレーンを演じます。

彼は、ほとんどスタント無しでジョン・マクレーンを演じます。

ピンチの場面でもひょうひょうとした態度で敵と戦うマクレーン刑事にはすごく引き込まれてしまいますね。

彼の生活、家族構成は?

彼は、映画「張り込み」のプレミアム試写会にて女優であるデミ・ムーアと出会います。

二人は1987年11月21日にめでたく結婚し、2000年10月18日までにルーマー・ウィリス、

スカウト・ラルー・ウィリス、タルーラ・ベル・ウィリスの3人の娘に恵まれます。

ですが、のちにブルースとデミは離婚することになります。

夫婦というのは大変ですね。

そして、離婚後の2009年3月21日にブルースはエマ・ヘミングと再婚を果たします。

一方のデミ・ムーアもアシュトン・カッチャーと再婚していますね。

さらに、すごいことが二人ともお互いの結婚式にお互いを招待しているということが日本ではあまり

考えられませんね。

しかし、ブルースの結婚式は公式なものではないらしく後日ビバリーヒルズで正式に結婚式をあげたそうです。